2020年02月02日09時03分
◆ノンフィクションライター・松瀬 学◆
「荒ぶる吹雪の逆巻くなかに♪球蹴る我等は銀塊くだく♪」
こう始まる「荒ぶる」は、早稲田大学ラグビー蹴球部(ラグビー部)の第2部歌で、大学日本一になった時のみ、歌うことが許される特別な歌である。
その年の最上級生のみ、冠婚葬祭の時にも歌うことが許される。そんな理不尽、いや神聖な歌なのだった。
だから、早大ラグビー部OBはこの歌を聞けば、魂が揺さぶられる。
◇最高の気分
1月11日、大学選手権決勝で早大が明大を45-35で破り、部員たちはピッチ横で楕円(だえん)球のような大きな輪をつくり、荒ぶるを大声で歌った。11年ぶりの荒ぶるが、木材も使用した新しい国立競技場の大屋根に響き渡った。
新国立競技場で初めて開かれたラグビーの試合で、観客は5万7345人だった。早大の相良南海夫監督も、斎藤直人主将らと肩を組んで荒ぶるを歌った。
「最高の気分でしたね」
相良監督は大学2年時の1989年度(平成元年度)に優勝を経験したが、4年時の主将の年には決勝にすら進めなかった。創部100周年だった昨年度は準決勝で敗退した。
「自分は卒業する時に歌えなかったんで…。まあ、感無量というか、本当にいいものだなと思いました」
スポーツとはノスタルジーである。どの年の部員もシーズン当初、「大学日本一になって荒ぶるを歌うゾ」と決意を新たにする。そのため、日々鍛錬する。
◇わずか16回
時に「地獄」と形容される長野・菅平高原の夏合宿、最終日にはダボスの丘に登って荒ぶるを練習した。目をつむれば、大学4年時の同期との歌の練習を思い出す。
もちろん、シーズン中、勝って歌うためだった。だが、僕らの年代は最後、明大に敗れて荒ぶるを歌うことはできなかった。
創部1918年。この長い歴史の中、大学日本一になってグラウンドで荒ぶるを歌えた年は今年を含め、わずか16回しかないのである。
実は、この決まりを破ったことがある。僕が早大3年の81年(昭和56年)12月6日、関東大学対抗戦グループの早明戦で、名将大西鉄之祐監督率いる早大は明大に21-15で競り勝った。
当時はプリンス本城和彦氏の人気もあり、旧国立での全勝対決には6万5000人余が詰め掛けた。早大は5年ぶりの早明戦勝利ということもあってか、ロッカールームで肩を組んで荒ぶるを泣きながら絶唱した。
対抗戦優勝で荒ぶるを歌うとは。OB会で物議を醸したそうだ。でも、荒ぶるを歌った時の感動を忘れることはできない。
◇掴むことができた
話を戻す。早大は今季、対抗戦では明大に完敗しながらも、大学選手権決勝で雪辱を果たした。コーチ陣の情熱と学生の努力があったからだろう。
今季は部員127人。試合メンバーも、そうでないメンバーも、どの学生も、1年間、日々鍛錬に励んだ。その中には、ほぼ耳の聞こえないフランカーの岸野楓(かえで)もいた。
1年の時から試合に出場していた斎藤、岸岡智樹、中野将伍と同じ4年生。レギュラーのみ渡される赤黒ジャージーを着ることはできなかったが、岸野も猛練習に打ち込んできた。周りも特別扱いしなかった。それが本人を人間として成長させた。
11日夜、都内のホテルで開かれた祝勝会。携帯を使って岸野と筆談した。「どんな気分ですか?」と書くと、難聴フランカーは顔をくしゃくしゃにしながら一気に文字を打った。
「生まれた時から耳が聞こえなくて、その中で、小さい時から見ていた強いワセダと荒ぶるを歌っている姿に憧れて入部して、4年間、個人的にたいへんな道のりでしたが、いまこうして、荒ぶるを掴(つか)むことができました。感慨深いです」
祝勝会では、監督、コーチ、部員、父兄、OBが一緒になって、荒ぶるを歌ったのだった。
(時事通信社「金融財政ビジネス」より)
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February 02, 2020 at 07:03AM
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「荒ぶる」~早大ラグビー部が明大を破って11年ぶりに歌った第2部歌~【スポーツコラム】 - 時事通信ニュース
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